運送業におけるオール歩合給は可能なのか? 熊本総合運輸事件・最高裁判決
社会保険労務士の、荻生清高です。
九州労働判例研究会・2023年8月例会は、熊本総合運輸事件・最二小判令和5年3月10日判決をテーマに取り上げました。地元ネタです。
いわゆる基本給・割増賃金振分け方式による固定残業代の支払が、違法とされたことで有名な判例です。
タクシー・トラック業界で広く採用されていた方法が、使えなくなったわけです。
この点については、既に多くの解説がなされてますので、ここでは概要にとどめます。
本論までを短縮するため、判決の論を若干端折っています点は、ご容赦ください。
固定残業代の有効性判断基準
固定残業代が割増賃金の支払として認められる基準は、最高裁判決の積み重ねを経て確定しています。
- 明確区分性
通常の労働時間に対する賃金と、割増賃金にあたる部分とを判別することができること - 対価性
固定残業代が、時間外労働等に対する対価として支払われるものであること
2番目の対価性の基準は、このあとの話に重要ですので解説します。
「対価性」要件とは
対価性要件とは、その手当が時間外労働の「対価」として支払われるものであるか、というものです。
一見当たり前のことを言ってますが、これがそうでなかったのが、熊本総合運輸事件です。
熊本総合運輸事件においては、賃金の総額が決められていて、その範囲で時間外手当を支払います。そして、残業時間が多くなっても、総額は変わらない形態となっていました。
この形態により、賃金のどの部分が時間外労働に対する対価にあたるかが、明確でなくなっていました。最高裁はこの点を指摘し、対価性を満たしていないとしたわけです。
この部分、判決はさらに対価性の判断基準とか、手当が1か月当たり平均80時間弱の時間外手当に相当し、実態とかけ離れた長時間であることを指摘しつつ判断していますが、ここでは詳細は割愛します。
いわゆる「オール歩合給」は、運送業の解決策となり得るか
運送業においては、2024年4月1日からは、ドライバーの年間の残業時間を960時間以内に収めないといけなくなります。いわゆる2024年問題です。
この2024年問題、そして熊本総合運輸事件の判例を受け、オール歩合給制度への関心が高まってきています。私への相談もありますね。
オール歩合給制度とは?
オール歩合給制度とは、給与のすべてを売上等に応じて変動する歩合給として支払い、基本給などの固定給部分を持たない賃金制度をいいます。
トラック・タクシーの運転手のほか、いわゆるフルコミッションの保険募集人、不動産営業などで用いられます。
オール歩合給が検討される事情とは?
とくに中小の運送業には、実質的にオール歩合給をとる会社が多いです。
これは熊本総合運輸事件でもそうでしたが、就業規則で決められた基本給その他は名目にすぎず、実際には運送先または運行内容により歩合給を計算。この実質的オール歩合給で計算した金額を総額として、基本給・割増賃金・歩合給に割り振っているにすぎない(なのでどれだけ残業しても、給与総額は増えない)ということが、行われてきました。
であれば、最初からオール歩合給で計算しようということです。
そして、このオール歩合給制度の導入それ自体は、法律は一切禁じていません。
それでは、オール歩合給にし、それに対する割増賃金を支払う給与体系に変えれば、解決策となるのでしょうか。
オール歩合給は、論理的には可能だが、非現実的
前段で述べた通り、オール歩合給制度の導入それ自体は可能です。
ただ、以下の点から、現時点では非現実的と判断しています。
そしてその非現実性が、この熊本総合運輸事件最高裁判決で、より強固になったと見ています。
歩合給は、そもそもが労働時間への対価ではなく、成果への対価
オール歩合給への変更は、それまで労働時間への対価として支払われた賃金を、成果への対価に変更することを意味します。それはそもそも、労働者である必要はあるのでしょうか。あるいは業務委託と何が違うのか?
仕事の内容は変わらないのに、この変更は成立するのでしょうか?
オール歩合給に変わると、割増賃金は大幅に下がる
オール歩合給に変わると、割増賃金は大幅に下がります。
例:月所定労働時間173時間、残業30時間として
基本給18万円の場合:180,000円÷173時間×割増率1.25×30時間 ≒39,018円
歩合給18万円の場合:180,000円÷(173時間+30時間)×割増率0.25×30時間 ≒6,651円
また熊本総合運輸事件では、固定残業代の効力を否定した根拠に、制度変更によって通常の労働時間に対する賃金が、1時間あたり平均1,300円~1,400円程度だったのが、約840円へと大幅に減少していました。
この変化について、労働者に十分な説明がされたとうかがわれない、と裁判所は断じています。
割増賃金対策で歩合給を採用する場合、固定の基本給部分を数万円程度に下げるのが通例です。オール歩合給であれば、固定の基本給部分はゼロです。
これは時間当たりの賃金の大幅低下を招き、判例と同様、割増賃金の対価性を否定される懸念が生じ得ます。
労働条件の不利益変更の観点からも、極めて困難
上記のような時間当たり賃金低下、また割増賃金算定の低下が起こる場合、労働条件の不利益変更となります。この場合、労働契約法第9条により、労働者との合意無く変更することはできません。
そして最近では、裁判所はこの労働者の同意が「自由な意思に基づいてされたものと認められるか」を、厳しく判断する基準が定着しています(山梨県民信用組合事件・最二小判平成28年2月19日)。
これの対策は極めて困難です。紛争に発展した時点で、会社の負けはほぼ決まってしまいます。
仮に対応するなら、すべての労働者に労働条件の前後の変化を具体的に示し、熟慮期間を与えた上で、労働者一人ひとりの個別同意を得る対応が、必須でしょう。
あえて言うなら、長距離ドライバーはオール歩合給を、好意的に受け止めるかもしれません。
オール歩合給は、成果についての歩率を、適正に設定できるのか?
例えば運送業の場合、すべての荷主1件1件に適正な歩率を設定し、明文のルール化することが求められるでしょう。社長の鉛筆舐め舐め・ブラックボックスで決める方法は、ここでは通用しません。
これは現実的に可能なのでしょうか。極めて困難な設計となります。
オール歩合給は、困難を克服して導入しても、対価性の否認リスクを排除できない
既に述べたように、オール歩合給の導入は、通常の労働時間の賃金の大幅低下を招きます。
これが固定残業代の対価性を否定される根拠となり得ることが、熊本総合運輸事件の最高裁判決で強まりました。
労働条件の不利益変更その他困難を克服して、オール歩合給制度を導入したとしても、この根本的な問題点を解決することは、困難といえます。
オール歩合給制度の導入は、極めて難しくなったと考えます。
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